友だち

そもそも、私が「欲しい」と思ってる友だちって、どんな友だちなんだろう?
楽しく気さくにお喋りできて、相談にものってくれて、自分の気持ちをわかってくれる友だち?
そんな友だちがいたら素敵です。

でも、相手との関係が深くなると、分かり合えることばっかりじゃなくて、お互いの嫌なところや合わないところが見えてきて、傷ついたり、がっかりしたり、腹が立つことも起こってくるのが現実だよな〜とも思います。
そういう面倒なのはイヤだ。だけど、やっぱり友だちと呼べる人が誰かいてほしい。

考えてみれば、矛盾した2つの気持ち。でもどっちも自分の本音なのです。
そして、そういう自分は誰かの良い友だちになれているだろうか?と考えると・・・いや、もう考えるまでもなく答えは「NO!」です。
自分は良い友になれないけど、良い友が欲しくて、でも面倒なのはイヤで・・・

まあ、なんとワガママなよな子の本音でしょう。自分でもあきれてしまいます。
こんな私じゃあ、友だちがいなくてもしょうがありません。

でも、そんなワガママでずるい私の本性を知りながら、「よな子、あなたはわたしの友だ」と、ずっと言い続けてやまないかたがいること、そのことだけは絶対に変わらないのです。
このイエス様が、私を「友」と呼び続けてくださるから、自分は矛盾だらけだけれど、面倒なのはイヤだけれど、良い友になんてなれないけど、それでも人と出会うこと、出会った人と友となることに希望が持てます。
それは、私が「欲しい」と願っている友だち関係とは別のかたちかもしれないし、自分や相手の弱さやずるさのために挫折することもあるかもしれない、それでも「友」と呼んでくださるイエス様は変わらないから、もう一度人とつながる勇気が与えられます。

だからどうかマイさんが友だちが欲しいと願っている今、何よりも、イエス様がマイさんに「友よ」と呼んでおられることに心を向けることができますように。
「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15章13節)
イエス様がこうおっしゃった、この「友」こそ、マイさんであり、マイさんが出会うお一人おひとりだからです。

マイさんのために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
そうおっしゃるイエス様の愛を知り続けていく中でだけ、本当に人と友となる道が開かれていくのだと思います。
そしてもしかしたらその道は、「挨拶して一緒に祈るだけ」の教会の方々との中に、すでにあるのかもしれませんよね。
その方々も、イエス様に「友」と呼ばれている方々ですものね。
祝福をお祈りします。

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