だいぶ以前に、「友だちの友だちはみな友だちだ。世界に広げよう、友だちの輪。」というのが流行ったことがありました。
某バラエティ番組のお決まりのフレーズだったのですが、本当にそうやって友情が広がっていったらいいですよね。
まあ、でも現実の友だち関係はそんなに美しいものとも限らないので、ちょっとキレイ事にも聞こえてしまいますが・・・。
友だちって、素晴らしいけれど、悩みの種にもなりがちで・・・。友だちって、何なのでしょうね?
今日はその友だちについてお便りくださったマイさんからのメールをご紹介します。
教会に友だちと呼べる人がいません。
挨拶や、一緒にお祈りしたりはしますが、それだけで、悩みを話をしたり相談できる人はいません。
一度だけ行ったことのある別の教会は、皆さんが気軽に話しかけてきてくださり、楽しかったです。
だからといって、そんな理由で教会を変えるのもどうかと思います。
私は人付き合いが下手で、どこか面倒だと思っているから、友だちができないのかもしれません。
マイさん、お便りありがとうございます。
友だちが欲しいと思うこと、私たちのすごく自然な願いだと思うんです。
イエス様が共にいてくださると言われても、やっぱり実際に会って話せる友だちが欲しいって思いますよね。
でも、お便りの最後に「どこか面倒だと思っている」とお書きくださった、このお気持ちもなんだかすごくわかるような気がしたんです。
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