正直であること。
とっても大切なことだけれど、これがなかなか難しいなあとつくづく思います。
でも時々、FEBCの聖書通信講座を受講されているかたから、ドキッとするくらい正直なお便りをいただくことがあります。
先日もそのようなお便りをいただいたのでご紹介します。
ゴーさんとお呼びします。
マタイ福音書7章21~23節。
「主よ、主よ」と言う者に向かってイエス様は
「『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』と言うであろう」、
ときっぱりおっしゃりました。ガイドのコラムに、
「『わたしは洗礼を受けています。
わたしは毎週教会で礼拝を守っています。
わたしは献金しています。わたしは聖書を毎日読んでいます。
わたしは教会の奉仕をしています。
ですからあなたは、わたしを認めてくださいますよね。』
そのようにわたしは心の中で言う者です。
そのわたしにイエス様は『全然違う』とおっしゃる。」
とありました。自分も全く同じで、きっとイエス様に「全然違う」と言われる者だと感じました。
「それなりにクリスチャンしている」と思うのは傲慢だなあ、と。だいぶ前ですが、「歌声ペトラの風」という番組で、
関根牧師作詞でシンガーソングライター岩渕まことさん作曲の「冷たい水」という曲が流れました。
「主よ主よと叫んだ者が天国に行けるわけじゃない。
一杯の冷たい水を、名も知れぬあの人に運ぶあなたに豊かな報いがあるのです」
というような歌詞でした。ぐさっときました。
私がしている神様への賛美は、本当に神様に向けたものなのか。
それとも自分への報いを計算に入れた賛美なのか。
そして、何の見返りも考えず、貴重な一杯の冷たい水を、
赤の他人に常に差し出すことができるのか。
今でもまったく自信がありません。
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>正直であること
~と、冒頭からあるので・・・
今の私の正直な気持ちを述べます。
最近、兄弟姉妹間で、ゴタゴタしてて、正直、真剣な話に傾聴し、感想を述べる気になれません(>o<) ラフな話に癒やされます。 トマ子さんも、頑張っているようですね! 聖書通読~以前のツイッターでのリレー通読なら、私も続けられたかも(笑)どうして、終ちゃったんだろう? 残念(≧∇≦)b なんか、かたっくるしいのは、疲れます。 イエス様って、ユーモアのある方だったんですよね!?
一杯の冷たい水。
普段なら、どうということもない、どうぞとコップにナミナミ入れて渡せますが、砂漠のど真ん中で、さまよっていたら、残りこれだけという貴重な水を譲れるでしょうか。
40年前のことですが、当時の高校の運動部は水の摂取はノーだったんです。体の動きが悪くなるというのが理由です。だから朝7時からの練習で12時の昼飯の時間まで、一滴も飲めないんです。12時になって、3つか4つしかない水道の蛇口を争って、けんかまで起こした私には、とても砂漠で水は譲れないだろうなあと、頭をかいてます。
岩渕さんの歌はユーチューブで聞けます。やさしい歌声ですが、内容は本当に厳しい指摘です。
洗礼を受け、教会に通う者でありながら、ちっとも聖化されていかない自分、もしかしたら救われていないのでは?と不安になることがあります。
あなたのことは知らない、悪いしもべだ、このようなことを宣告されるのでは…
どうか憐れんでください。
私自身を捧げることができますように。アーメン
ゴーさん こんにちは (^o^) あなた様 の 書きこみ を お読み しまして、あなた様は、正直な 御方 だと 思いました。そうですよね 見返り云々 等々……? 私も きっとそう 見返り を 求めて いるのかなぁ~ そ~う 思っています。私は「我が身が 一番可愛い」・・・残念ながら そのような あさましい 人間であります (-_-;) 情けない です けれども。 タクさん より