十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい

「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」
(コリントの信徒への手紙一2章2節)

教会がこのかたを忘れるとき、
サクセスストーリーみたいな証しばかりが褒められて
傷ついている人を上から裁いてさらに傷つけてしまう。
決してあってはならないことだけれど
現実にはあちこちでそういうことが起きてしまっているのですよね。

でもカエルさんが「ですが、そんなことは気に留めずに・・・」
と書いてくださったのをお読みして、思いました。
それでも、イエス様の十字架は変わらず立ち続けてくださっている。私たちが、教会が、忘れているときも。
イエス様は、そのようにして傷ついたカエルさんを
ご自分が十字架で受けた傷によって癒やしてくださった。
いや、今もまだ痛み、悲しみに襲われ、自分を責めてしまうことがあっても
イエス様はそこにおられる。

だから、ご自分を傷つけた大嫌いな教会が、
いつの日かイエス様が連れ戻してくださることを祈り求める所になったのですね。
教会は、「勝ち組」に憐れんでもらいに行く所などではなくて、
神に見捨てられるまでに私たちを憐れんでくださったおかたを礼拝する所。
本当にこのおかたの憐れみだけが、カエルさんを、私たちを、支えるのですね。

お便り、本当にありがとうございました。
どうぞこれからも放送をお聴きくださって、
イエス様を知り続け、求め続けていく歩みをご一緒させてください。
祝福をお祈りします。

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