隠れたところにおられるあなたの父

そう思いながら、もう一度改めてアサさんのお便りをお読みして、思いました。

かわりばえしない毎日の面倒なことや召使いみたいなこと、
ぜんぜん目立たないし誰も気づいちゃくれない
だったらやっても意味ないじゃん、と思う・・・

もしかするとそれこそ、イエス様のおっしゃる「隠れたこと」なんじゃないかなって。

私たちが悲しいと思いながらも自分でどうすることもできないこと、
人に言えばグチとしか取られないようなことだけど
自分にとっては本当に深い傷み、でもどうにもできない心の思い、
天の父は、それを見ておられて、しかも天の父はそこにおられる。
イエス様はそうおっしゃっているのではないでしょうか。

他のどこかじゃなくて、今、アサさんが傷んでいるそこが
父のおられる隠れたところだって。
この父はその他大勢の父じゃなくて、「あなたの父」だから
この父に向かいなさいって。

隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことをみておられるあなたの父が報いてくださる。
(マタイ福音書6章6節)

そうおっしゃるイエス様ご自身も、早朝暗いうちに人里離れたところに退いて祈っていました。
あの十字架にかかる直前も、弟子たちが眠りこけている間、独りで、ひれ伏して血のような汗を流して、父に向かわれ、
そうして担われた十字架は、隠れたところで独り傷んでいるアサさんの傷み、

そのイエス様がおっしゃるのですね。
隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。

そうするところで、イエス様の十字架の死はその他大勢のためじゃなくて
この私の痛みを負ってくださった死になるのだと思います。
それはきっと、隠れたところで父に向かうことでだけ与えられる報い、深い喜びです。

そうすれば、隠れたことをみておられるあなたの父が報いてくださる。

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