きれいごとじゃないんだ。

「春眠暁を覚えず」と言いますが、最近、寝ても寝ても寝ても眠いよな子です。
朝、目覚めると「タリタ、クム。起きなさい。」という言葉を思い浮かべながら起き上がる今日このごろ。

そういえば、番組「タリタ、クム。起きなさい。」は先月最終回を迎えてしまいましたね。
4月から新番組がスタートして嬉しい半面、「あの番組が終わっちゃって寂しい」というお便りも寄せられています。
皆さまもぜひ最終回番組や新番組へのご感想、お寄せくださるとうれしいです。

最終回を迎えた番組について、面白いメールをいただいたのでご紹介します。

(下の番号をクリックして続きをご覧ください)

18件のコメント

  1. 匿名

    関野先生つながりで今日5/24のFEBCネットラジオの巻頭言っていうのでしょうか、放送で言えばFEBC Todayに当たるコーナー、新人Nさんの牧師ROCKS4周年ライブの記事面白かった。あたしもあの場所にいまして、イエスにぶつかる、にテーマソングに使ってる曲が流れてきたときYeah! FEBC!って叫ぼうか迷ったんですが叫ばなくて良かったわ^^;

    Nくんの言うとおりMCはやばいね。説教がフェイスブックだとするとMCは2chの書き込みみたい(笑)
    それを覆面ではなく堂々と言っちゃうあたりがぶっ飛んでる。裏表ないんだ。ライブに来てる連中なら共有できる、そういう位置にいる。
    共感できない人もいると思う。それは仕方ない。KANAKOさん出てきたときも困った顔してるもちらほら。そりゃそうだろうな。

    イエスにぶつかる、CD買うよ!

    • yonako

      おぉ〜なんとなんと、その場にいたんですね!
      私もいつか牧師ROCKSのライブ行ってみたいです♪

  2. 寺坂あやめ

    すみません、関野先生のお話は既に音源化されていたのですね。
    大変失礼しました。

  3. 寺坂あやめ

    私は綺麗事しか言わない聖職者に、人間そんな綺麗なものじゃないのになぁという不信感を持っていたので、関野先生のお話は「そうそう、それなんだよ!」とやっと分かってくれる人に出会えた気がしました。
    神様を信仰すべきなのに教義や神学を信仰してるんじゃないかとか、現代のキリスト教への疑問を感じたりしていたところに、イエス様とガチンコで語ろうとする関野先生の話をを聞き感動しました。
    関野先生のお話の最初の部分はまだFEBCを聞いていなかった時期なので、全部通して聞いてみたいです。
    CD化か何か企画していただければと思います。

    • 匿名

      寺坂 あやめ 様 こんにちは (^o^) そして 初めまして フルネーム での 御投稿 どうも 有難う ございます。此れから どうぞ 宜しく お願い 致します。百花繚乱 爽やかな 過ごしやすい 季節ですね (^o^) 貴女様の 御投稿・・・ 私も 全くの 同感で ございます。関野 牧師先生 は なかなか 言えない ことを 私達の代わりに 代弁 されて 下さって おられる 私は そ~う 感じて います、我が国の キリスト教への 想い キリスト教への伝道 どうすれば?? 勿論 賛否両論 は ある とは 思いますけれども でも 私も、関野 牧師先生 のこと 応援 したい そ~う 思っています。    それでは 寺坂 あやめ 様 ご機嫌 ヨロシュー m(__)m タクさん より

  4. korin

    関野先生には、ぜひまた出演して頂きたいです。(^^)
    楽しみにお待ちします。

  5. 理系です

    そろそろ、このブログを読む人も少なくなると思って書き込みます。
    まず、「きれいごと」か「きれいごとじゃない」か、のほう。
    この主語って、「教会は」でしょうけど、「クリスチャンは」「信仰は」「キリスト教は」にしても良いと思う。
    わたし的には、これらは「きれいごとなわけない」。
    それは、ローマの信徒への手紙3章10節に書いてあるとおり、『正しい者はいない。一人もいない。』。自分は新改訳聖書のほうの「義人はいない。ひとりもいない。」という訳のほうが馴染みがある。つまり、牧師(神父)も一般信徒も「義人ではない」。教会はそんな人の集まりだから、きれいごとでは済まない。バプテスマを受けたところで罪人がその日から急に聖人君子のようにはなりはしない。ましてやイエス様のようにもなれやしない。そんな問題だらけの人が集まっているから、いろいろある(笑)。しかし、これだけは言えるのだが、「目指している方向は同じだ」。
    クリスチャンが、受洗後すぐにみんな金太郎飴のようになってしまったら、それこそカルトだ。
    金子みすゞの詩のように「みんなちがって みんないい」のだ。しかし、そこには「主にあってひとつ」という一致があるから良いんだ、と思う。
    だから、教会に過度な期待をして来るとつまずくと思う。クリスチャンはイエス様を目指しているが、イエス様ではないのだ。しかも、それでも神様は受け入れてくれているのだから。

    • 理系です

      「御霊よ来てください~聖霊と教会」(関川先生)の番組について、
      自分が今まで通ってきた教会は、いわゆる福音派と呼ばれる教派・宗派で、どちらかというと「聖霊」を連呼するのは危険だと教えられてきていましたので、あまりそういうのを意識せずにいました。しかし、今回、日本基督教団・大森めぐみ教会(こちらの教会は村岡花子さんも通われていたそうですね)の牧師先生が語られるということで、そういう偏見が一掃されるとともに、この日本での伝道がうまくいかない理由の一つにクリスチャンたちの間での聖霊様の働きがやや軽視されているという現状やそれ以上に日本に古くからある風習または諸霊のいろいろな影響について、考えさせられました。
      私自身は、そういう諸霊の働きについては、暗黙のうちに受け入れてなあなあに考えていたところがありましたので。
      しかし、諸霊の働きが強くて伝道がうまくいかないというのは理由の一つであっても、それだけじゃないなぁ、とは思いました。それ以前に自分がそうですが、積極的に伝道の働きをしていませんもんね。
      この番組が終わってしまって、せっかく自分の中で聖霊様のお働きについて、すごく意識して願ってようやく体感できるようになったのに、これがまた前のように鈍感になってしまうのではないか、それがちょっと恐怖というか気がかりです。

    • 理系です

      最後に「イエスにぶつかる」のコメント。
      自分の今までの歩みは、子供の時からお祈りを通してイエス様にして本音でぶつかってきました。私が本音と建前を使い分けられない血液型で、けっこうズケズケ物を言ってしまうという性格もあったと思います。だから関野先生の祈りは違和感なく受けいけられたし、こういう牧師もいたんだ、と思いました。
      当初、関野先生には、前番組での人気を伺っていたので色眼鏡を通して見ていたから、違和感というか反発もありました。従来の聖書のメッセージを否定して、その先を示す前に番組が終わるので困惑しました。特に関野先生が死んで天国に行くという希望を否定されていたのにはまいりました。
      しかし、最終的に「お行儀よい信仰生活で生き抜ける時代は終わったんだよ。」というのが心に響きました。自分と神様の1対1の祈りの中で思いをぶつけて最適な解決策を神様からいただくのが関野先生の答えなんだろう、思った次第です。
      関野先生はアラフォー(30代後半)らしいですが、私みたいに従来の固定概念に洗脳されてしまっている前世代の人には想像できない熱い想いがあるのでしょうね。
      次回、FEBCで関野先生のメッセージを聴けるとしたら、単発では日曜礼拝番組、1クールの番組なら「主日の説教から」でお願いしたいです。
      関野先生の主日礼拝メッセージ、いったいどんなんだか想像もつきませんので(笑)

  6. たぬきさん

     以前サイトの記事「わけわかんねえ、でもあったけえ」で関野先生の放送にコメントした事があります。私の提案の底にある意味をくみ取ってくださったのでしょうか。一人称「俺」表現は変わりませんでしたが、過激な言葉使いは回を重ねるごとに、自分のコンセプトと聞き手を不快にさせない表現との融合への配慮を感じさせる丁寧な作り込みを感じさせ、既存のロックのイメージ先行から、深い広がりのある本当の意味でのロックの世界感を纏った番組に変わっていき、さらに言葉を超えた部分で本当に深く響く内容も多くなってきて嬉しくなりました。
     説教番組には、現場に呼ばれて現場で砕かれて、そこからイエスにぶつかってついていこうとする自分の姿勢を、関野先生のように赤裸々に語られる方と、淡々とした語り口の中にそれを透けて見せる方とがあるようです。そしてそのどちらも目指す所は同じだと思っています。
     番組意見の送信に際して、私は出来るだけネガティブな意見はそれについての前向きな提案と、その番組でポジティブに評価した部分を合わせて盛り込めるように心がけています。もしそれが出来ないのなら、今の自分には合わない番組だと割り切って、それを気に入ったリスナーさんが励みになるようなメールやコメントでもり立ててくださると信じて委ね、自分の意見はださないで静観する様にしています。

  7. 匿名

    関野先生の番組第2弾は、文字通りイエス様にガチンコでぶつかっていった番組でした。
    本当に分かりやすい内容だった第1弾は、意外にも幅広く支持されたのですが(年長世代にも受け入れられたのはびっくりしました)、今回はメッセージ性がかなり強い内容だったせいか、賛否が分かれてしまったようですね。
    関野先生のようなスタイルの聖職者は、他の宗教も含めて唯一でしょう。
    本質はキリスト教と真剣に向き合っているのに、これまでの聖職者ではなかったざっくばらんな口調や過激な言葉に拒否を示してしまったようですね。
    個人的には関野先生のような存在がいないと、キリスト教全体が閉塞感に覆われてしまうように考えます。「イエスにぶつかる」は危機感のメッセージと思えます。

  8. 白ヒグマ

    関野先生の登場は衝撃的でした。特に「イエスにぶつかる」は「ここまで言っていいのか?」とハラハラする反面、ものすごく惹き付けられる内容でした。

    以前、手紙に書いたのですが私は一部の信徒さんには「あの人は変り者だから関わりたくない」とおもわれているようで悩んでいたのです(歌声が大きすぎる、早口だとかで)
    ですので関川先生が教会が陥りやすい問題を指摘されるのも私にはありがたいことでした。
    まだ洗礼の決心ができないダメ求道者ですが「友なき人の友となりて心砕きしこのひと」を信じて生きたい。

  9. あふぁ

    主の御復活おめでとうございます。
    礼拝(リトルギア:λειτουργια)に私事を混ぜ混むことさえしなければ、その他の教会活動をど楽しんでも苦しんでもいいように思います(*^^*)

  10. 匿名

    このリスナーの方の、関川先生と関野先生の番組は、非対称に思えても、根っこは同質なものと感じた、という観点は鋭いと感じました。
    静かな口調の中にも、閉鎖的な教会の空気に苦言を呈した関川先生。
    前回の番組以上にストレートな思いを叩きつけた関野先生。
    お二人の番組には「日本のキリスト教はこれでいいのか!?」という姿勢を感じました。
    全国にキリスト教関連の学校、教育機関が数多くありながら、信者の数は日本の総人口の1%以下から増える気配すらない。
    郵便ポストのコーナーには、聖職者、信者同士のトラブルの話題が絶えない現状。
    それらの根底には、教派を問わず日本のキリスト教、教会(カルト教団は除く)があまりに閉鎖的過ぎるからではないかと考えます。
    両先生の番組は、スタイルが違っていても、日本のキリスト教に対する危機意識が強く感じられる番組でした。

  11. FEBCスタッフ

    【お願い】にも書かせていただきましたが、今回はこのお便りや記事内容に関係するコメントに限らせていただいております。

    それ以外のコメントは、この1つ前の投稿「くろ玉」のほうに移行いたしました。皆さまの日頃思っていること、最近思うことなどのコメントはそちらにお寄せくださいますようお願いいたします。

  12. JQ2NJP クマちゃん

    本音だけを言えばいいのかというと、人間関係を平和にするためには、多少の嘘も必要になることは、誰でもご存知でしょう。しかしそれはわかっているけれど、家族とか、教会の兄弟姉妹とか、ほんとうに自分にとって大切な相手には、心底本音だけで話したいと、私は思います。表現方法が良くないとはよく言われますが、表面だけ取り繕っても、ほんとうの家族とか、兄弟姉妹にはなれません。もちろんイエス様には、本音しか話せません。そして、本音で話している時にこそ、神様の恵みがあふれるようです。

  13. ごんべぇ~

    この方の言うように、お二人共、云ってる事は、同じ事~ただ、表現の仕方が違うだけのように、私も思いました(*^o^*)

    スタッフN子さぁぁ~~~ん、よな子さんのボクシング姿も、活けてるぅ~ん(=^..^=)ミャー

  14. 匿名

    この ブログ に 投稿 されました リスナー様 よくぞ よくぞ と 私は、思いました。私も 全く の 思いです。m(__)m  私は、関野 牧師先生には、もっと もっと 言ってくれぇ~ って 思っています。はい 今でも です。人の想いを 人の考え を この 人間関係を 関野 牧師先生 は、私達の代弁者 として モノを 言って おられます。私は むしろ 関野 牧師先生 には 非難ごうごう かも しれない の ですが、もっと もっと 吠え まくって 欲しい そう~ 思っています。私は、関野 牧師先生 を 尊敬しています。m(__)m  タクさん より

コメントは停止中です。