苦しみの理由はない

「もしかしたらイエス様が言おうとしたのは『理由はない』ってことなのかも・・」

今日のお散歩トークの中でハッとした言葉です。

 

「神がいるのになぜ世の中に苦しみがあるのか」

「神が愛なら、なぜこのような苦しい目にあうことをお許しになるのですか?」

「この苦しみの意味はなんなのか・・・」

 

ときどきこのような問いをFEBCにお便りくださる方々がおられます。
たぶんほとんどの人が一度は、もしかしたら何度も、
この問いを抱いたこと、こう問わずにはおれなかった経験が
あるんじゃないかなと思います。
もちろん私もそうです。

 

今日のお散歩トークはヨハネ福音書9章、
生まれつき目の見えない人をイエス様がいやす場面です。

「この人の目が見えないのはだれのせい?」
と聞く弟子たちに、イエス様は答えます。
「だれのせいでもない。神の業がこの人に現れるため。」

 

だけど私は、「なぜこんな苦しみが・・・」と嘆いているかたに
「それは神の業が現れるためです」なんて言えるかな?

ちょっとした悩みくらいなら言えるかもしれないけど、
治らない病気に苦しむかたに・・・
大切な人を亡くされたかたに・・・
その苦しみが深ければ深いほど、
とても言えないなと思ってしまいました。

だって、お散歩トークでながくらも言ってたように、
なんだかそれじゃあまるで
神様の業のためにその人が苦しめられてるみたいじゃないですか!
「そんなのひどいよ神様!」って思われそうだし、
それじゃあ苦しんでる人を慰めるどころか
よけい苦しめることになるんじゃないか?
って思ってしまいます。

そもそも、苦しみの理由がわからず苦しんでいる人に
「あなたの苦しみの理由はこれです」なんて言えないです。

だから、この言葉には本当にハッとさせられました。

「もしかしたらイエス様が言おうとしたのは『理由はない』ってことなのかも・・」

 

そっか、「神の業」は理由じゃないんだ。
「なぜ?」という質問への「回答」じゃないんだ。

私たちは、とにかく何か理由がなくちゃいけないような気がして
なんとか理由を見つけようとしたり
とにかく何か納得のいく理由をつけて解決したことにしようとするけれど
そうすることで、本当に見つめるべきことを避けてしまっているのかもしれないな・・・

 

皆さんは今日のお散歩トーク、どんなこと感じましたか?

放送はこちらからどうぞ。

1件のコメント

  1. 匿名

    そもそも神の業ってなんでしょう???
    私は苦しみの理由を捜し求めるより、その苦しみによって得る体験・経験が
    心を磨き、強め、人の痛みのわかる人に変えられていくような気がします。
    自分だけでなく、その周りの人も、
    労わりや、励まし、憐れみをかけていくようになるのでは・・・。
    それが、「神の業が現れるためです」~のイエス様の言葉のような(^0_0^)

    ごんべぇ~より。

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